おとつい、地区運動会に行って来た。ここ2年は雨のために延期になっていた。子供たちがそれぞれ、徒競走や玉入れに出たいというので、恥を忍んでいくことにした。俺自身が出られるのは、徒競走成人の部、踏んだりけったり、似合いのカップル、鉄人レースとなる。子供たちは、徒競走小学生の部、玉入れ(未就学児と60歳以上)、まごまごレース(小学生以下と60歳以上)、UFO、仲良し4人組となる。まあ、それぞれがどのような内容であるかは、タイトルから想像してほしい。
長男は、将棋教室があるので、妻と共に、出かけて行った。娘2人に実家の両親も誘い、事前に申し込んであるので、昼飯付きというわけで、出かけていった。当日朝は、極度の二日酔いであった。と言うのも、前日の土曜日に、会社の同僚の結婚式が有って、かなり飲み過ぎてしまった。俺と同僚と言うくらいだから、年も似たり寄ったりな訳で、やや晩婚とも言えるその結婚式は、地味婚ではあるが、良い結婚式だった。
話はそれてしまうが、この結婚式についてはやや触れておく必要があるかもしれない。と言うのも、結婚式が行われたパーティーは、京成みどり台駅のすぐ近くにある「ミルフィーユ」と言うお店で開かれたのだ。そう、北高の同級生のやっているお店だ。小じゃれた雰囲気の中にも、プチ高級感と家庭的な雰囲気が感じられる素敵なお店だった。別の同級生から何度となく誘われてはいたが、俺にはフランス料理などに合わないからと敬遠していた。この日も、同級生がやっているお店がこの近くだなと思いながらも、お店について、店中のオーナーを紹介した記事を見るまで、そこがそれであるとは知らなかった。
結婚パーティーで、しかも準幹事という事もあり、同級生のシェフとは、あまりしゃべることはなかったが、それでも帰る間際に少し話す機会が有った。汗をびっしょりかいていながらも、よく来てくれたと歓待してくれた。お互いに知っている同級生の名前をだしながら、しばし懐かしさに浸った。圭ジョンやはり村、インゴ、マダム、淀殿の名前が出てきた。未だに、そんなに同級生と接しているなら今度、一緒にお店に来いと言われ嬉しかった。
話はそれだけだったが、お互い住所のやりとりをして分かれた。今年の忘年会は行かねばならぬねぇと思いつつ話は、運動会に戻る。前日の台風による大雨が嘘のように、天高く晴れ渡った空は、運動会には絶好の秋晴れだった。空と言えば、爽と書いてそらと読む、中学の同級生の息子がいた。習志野の秋津団地に住むその同級生は、毎年この季節になると団地の祭りに誘ってくれた。何度か行ったことがあるが、子供向けの良い祭りだった。各地区が趣向を凝らし、手作りの山車を曳くと言うのがその祭りのメインだった。過去に於いては、「サザエさん」や、「千と千尋の神隠し」をモチーフにした凝った山車がその友達が住む地区のものだった。子供たちは、半被に豆絞り、女の子もなんと呼ぶのかは知らないか、粋な格好した小若たちだった。うちの真ん中と友達の長女が同級生なので、子供同士も気が合うので、よく遊んだりもしているので、この祭りは、楽しみの一つでもあった。今回は、前もって運動会に行くことにしていたので、子供たちの意見を聞いてみても玉入れや徒競走に出たいというので、祭りは、残念ながらお断りすることにした。
話がまた運動会からそれてしまったので、戻す。今週は、週のはじめより子供たちは運動会を心待ちにしていた。特に一番下は、今回が初めての運動会で、玉入れに出ると張り切っていた。午前中に、徒競走、玉入れと出て、まごまごレースになった。一番下がおばあちゃんと一緒、真ん中がおじいちゃんと出るつもりでいた。他にも、綱引きとかムカデ競争とか、老人向けの競技も有り、どちらかというとこの老人でも参加できる競技というのが人気もあった。人気競技は、事前に整理券が配られていた。綱引きとかムカデ競争は、その整理券があっという間に無くなる人気だった。まごまごレースも、人気競技なのか整理券が配られた。これに出られなければ、なるまいと思い、真っ先に整理券を手に入れた。すると、一人の婆様が一緒に出ようとうちの真ん中の子を誘ってくれた。婆様と言ってもおそらく60を少し越えたぐらいのヤングオールドって感じの婆様だった。
出たがりで、この日もパン食い競走に出た母親と違って、うちの父親は、もう75を越えているので、競技に出るのはしんどくなっている。婆様が申し出てくれたのは、その実ありがたかった。競技もそこまで進んでくると、お昼になった。午後は、俺が出る鉄人レースもある。前回は、地元の10代の若造に後れをとり2着で悔しい思いをしたから、今回に賭ける意気込みを胸に秘めつつ昼飯を食って英気を養うところだった。
弁当は、町内会別に分かれて独自の弁当が用意されている。各町内会は競って他の町内会より良い弁当を用意すると言うところがあって、黙って用意されたものを頂く俺のような住民にとっては願ってもなかった。俺が所属する赤チームには、大きく分けて二つの団体の弁当が用意されているようであった。一つは長年親しんできた西団地自治会のもので、うちの両親はそちらに所属するので、そちらの整理券を持っていた。うちの家族3人は、2丁目町内会なので、また別。整理券はないが、事前に回覧板が回ってきて、3人分予約して於いた。申し込みの時に、団地方式と違うので、妻には確認を取っておくように念を押した。当日になって弁当がないのは惨めだからね。「団地と違って整理券はないから、当日住所と名前を言えばくれるわよ」と言うことであった。整理券なしとは、ずいぶんフレンドリーだなと俺も思った。
両親の所属する西団地自治会の方の弁当が遅れているようだった。俺は既に用意されている弁当の山を横目に見ながら、自分の所属するであろう2丁目町会、中央名店街、市営住宅と書いてある看板を一応確認し、弁当をもらいに行った。すると、どうもただならぬ雰囲気なんだよねこれが。番地を告げ事前に予約してあることを告げると、「お宅は違うんですよねぇ」という。もう一度、番地を告げ先ほど目にした看板の中から2丁目町会ですと言うと、「2丁目町会なら良いです」と言って弁当をくれた。しかし手渡された弁当は一つで有った。「すいません、うちは事前に子供の分も含めて3つ申し込んだのですが」と言うと、少しとまどった顔をして、残りの2つの弁当をくれた。
3つの弁当を確保し、自分の席に戻り子供と両親一緒に弁当を食べ始める。団地自治会の方の弁当はまだ来ないので、3つの弁当を、広げて先に食べ始めた。すると、どうも視線を感じるのである。ふとその感じる先を見ると、4,5人の婆様がこっちを睨みつつ弁当を食っているではないか。その中には、さっきうちの子と競技に参加した婆様の顔もある。おかしいなぁと思いつつも、弁当を食い続ける。両親が所属する西団地自治会の弁当も加わり、ややゴージャス感を感じつつも、鋭い視線が気になる。4,5人の小母さんに睨まれながら弁当を食うというのも、気持ちの良いものではない。
どうもその視線が訴えているのは、この俺が食っている弁当に問題があるらしい。実は食っては行けない弁当だったのであろうか。そこで、二日酔いで思考回路が鈍っているミミズ頭をもう一回整理して考えてみた。俺の所属している赤チームは、西団地自治会と2丁目町会、中央名店街、市営団地の連合チームだ。二つのテントが用意されており、用意されている弁当も二種類。今一度見渡して見るも、他に3つ目の弁当は、見あたらない。西団地自治会は、整理券と引き替えだからそっちの弁当は、食べる権利がない。故に残る一方が、俺が食べるべき弁当であるのに違いないのは、消去法からも分かる。しかも、もう既に半分以上弁当は食ってしまっており、今更返せと言われても、もう遅すぎる。
会社でよく行かされるセミナーで出る昼の弁当も、外部からの侵入者を区別するために、整理券がある。まあ、地区の運動会だから、そこまで明確な線引きはしないのだろうが、それならそれで、部外者に弁当を食われても仕方がない。しかも、俺は部外者ではないのだ。散々の睨まれる視線と、ときに露骨にばってんのポーズまで俺に向ける。こっちは子供もいるんだぜ。よくそんな真似が出来るな。とおそらく60代だろと思われる婆様連中の良識を疑う。
そんな連中をよそに、弁当を食い終わる。流石に子供二人は、大人分の弁当は食いきれないから、残してしまう。一つにまとめて、晩酌の時のおかずにしようと考える。弁当の空箱2つを返しに行く。製造者責任のPL法から言っても、弁当の空箱は、回収が原則。むやみに家庭ゴミとして捨て、行政の手間をかけるよりも、その処理費用分が価格に反映されている元売りである弁当屋に回収させるのが一番の処理方法であるのは昨今の常識。
ところがである、ここでも屈辱に合うのである。空の弁当箱を返しに行くと「やっぱり、さっき自治会長さんにも確認したんだけど、お宅は違うのよねぇ」と一人の気の強そうな、一見上品そうではあるが世間知らず風の婆様が、俺に鋭く毒ついてきた。「あのう、俺も一応気になったので、聞いてから貰ったのですが…」「2丁目町会だからって言うから、渡したんです。もう良いです。これでこの話は終わりにしましょう。食べたのは良いですから、ゴミはご自分で、持って帰ってください」という。なんだか分からずに、その勢いに圧倒されたのと、せっかく楽しみに来ているので、もめるのも何であるから、そこで引き下がることにした。「すいませんでした」と詫びた。すると、その婆様は、勝ち誇ったように「赤チームと言っても、町内会が違うから弁当も違うんですよ。ここは、2丁目町会と市営団地に中央名店街なんです」という。そんなこたぁ、プログラムに書いてあるし、俺だって分かっている。と思いつつ、惨めに空箱を持って呆然とその場を立ち去ることにした。
何時までも空箱が、視界にあると腹立たしいので、捨てに会場を一時出ることにした。適当なゴミ捨て場に捨ててやろうとも思ったが、家に持ち帰って捨てることにした。途中、何か俺は間違っていたのだろうか、と考えながら行くが思い当たらない。あの婆様連中は何を持って、俺を部外者と信じ込んだのだろうか。ましてや町内会長も、何を持ってしてダメと判断したのだろうか。名簿でもあったなら見せてほしかったが、今となってはもう遅い。あまり、思い詰めて自転車をこいでいたので、途中車にひかれそうになった。家に弁当ゴミを置くと、運動会に戻る気が急速に醒め、戻るのがいやになった。しかし、会場に残してきた子供たちがいる。それに、俺は何も悪いことはしていない。堂々としていれば良いんだと、自分に言い聞かせて、再び運動会に戻ることにした。
会場に戻ると、そろそろ自分が出る予定にしていた、鉄人レースが始まる頃だった。しかし、弁当盗み食い容疑がかかっている俺様が、出場して活躍していたとしたら、あの婆様たちは、おもしろくないだろうと思い、出場を断念した。もとより、出る気も失せていたのだから。時計を見ると、2時少し前である。今から、秋津の祭りにでも行こうかと頭をよぎるが、こんな荒んだ気分のまま祭りに行っても、おもしろくないと思いやめる。ちらっと町会のテントにある弁当の山を見る。まだ、10個以上手つかずの弁当が有るのが確認できた。あの余った弁当はどうするのだろうか。みんなで分けて、持って帰るか、今日来なかった町内会の連中にくれてやるのか、あるいは捨てられる物もあるだろう。
結局余らせてしまって、処分に困る運命の弁当なのに、この俺が食ったところで、目くじらたてるこたぁないだろう。それとも、そんなに部外者に食われるのが、癪なのだろうか。捨て方が、食われるよりはましなのだろうか。あの婆様連中の思考回路はどうなっているのか。問いただしてみたいがやめておいた。まあ、そもそもただで弁当が食えるからと、湿気た場末の町内運動会にのこのこやってくるからこんな目に遭うんだと己を恨んだ。かつては、リレーの選手として活躍して、この赤チームを優勝に導いた俺も、見くびられたもんだと哀愁をたなびかせながら会場を背にした。来年からは絶対に地区運動会には来ない。もっと他に楽しみを見つけよう。
夜、妻が将棋教室から帰ってきてから、そのことを話すと、「あんたが食べた弁当が、食べて良い物だったか、世話役さんに確認してくる」と言って出ていった。結果は、やはり食べるべき弁当だったことが確認できた。俺はそれで満足だった。日本は村社会だ。引っ越してきたばかりの新参者は、はじめはこのような仕打ちを、受けるもんかもしれない。しかしなあ、あんな婆様連中が近所にいると思うとぞっとするね。そろそろ、この町も引っ越しかなぁ、などとふと思ったりもした。べろーめ。