今日は、小学校で今月末に行われる運動会のリレー選手選考会の日だった。私はこの日を密かに期待と不安で迎えるのであった。それというのも、去年の10月、当時幼稚園の運動会のリレー選手選考会で落選して以来、半年待ってのリベンジだったのだ。約半年前選考会で落選したときにすごくがっかりしていたので、その日以来、秘密の特訓を親子2人3脚で続けてきたのだ。(うそです)とすると、非常にこの物語は、劇的な方向に向かうのだが、残念。
まあ、そのときには、来年の小学校の運動会では、リベンジを果たそうとは思っていた。がしかし、我が町には、2つの幼稚園と2つの保育園がある。小学校が二つあることから考えると、競争率は、2倍と言うところだろうか。実質的には、女子13人の中から選抜されるは、4人だから、3.25倍となる。
さて、紅白リレーと言えば、運動会の花形競技だと私は思う。一方で、唯一選抜される競技でもある。後は、騎馬戦、組体操などもその役割によって、上になるか、下になるかの明暗がある。この立場の違いによって人生の役割分担を体験する事になる。小学生にはちと酷かなとも思うが、人生最初の試練と思えば、これもまた勉強かも知れない。
さて、リレーは、運動会の花形であるから、客観的にも見ていて楽しい。ましてや、自分の子供が所属する紅なり、白なりのチームは、たとえ選抜選手でなくとも子供が所属するチームに対して思い入れがあるのは当然だ。だから、応援にも熱が入る。遅い子が出てきて、抜かれるとくそーとも思う。故に、選抜されたこどもには、それなりのプレッシャーもかかる。
かつて、私も町内会の運動会でリレーにでたことがある。その日は、ほぼ一日リレーで走ることだけを念頭に一日を過ごしていた。朝は、入念にマッサージし、スタート直前まで念入りにジョギングを繰り返し、体をほぐして、本番のその時に備えた。スタート前には、緊張している見ず知らずの他の選手に「転んだり、バトンを落としたりしなければ、大丈夫ですよ。」なんて、身の程知らずの軽口を、たたいていた。ところが、ウォーミングアップのジョキングで私の足は、既に悲鳴を上げていたことに気がつかなかった。
いざ本番、自分の番になってバトンを貰うと1コナーまでに一人をかわしてトップに躍り出たところまでは、よかった。と、1コナーの出口で、股が上がらず、スリップダウンした。なんとかはい起きて集団の最後尾から追走するも2コナーの中間でまたもダウン。けいれんする股を引きずりながら約10メートル遅れで、第3走にバトンタッチ。その後また転倒。ボクシングならば,1R3ダウンはテクニカルノックアウトだ。
その後、我がチームは盛り返し、アンカーの女の子が鬼のように早く何とか2位に食い込んだ。レース後、けいれんした股を引きずりつつ両膝はすりむけ、血で染まっていながらも何とか余裕のつくり笑いを浮かべた。が、町内会長その他からは、転倒がなければ優勝だったと皮肉られたのは当然の結果だった。まさに生き恥をさらしていた。
俺は、このリベンジが果たしたくて、次の年の町内運動会にも参加し、リレーに選ばれるように善を尽くしたが、そんな私を、周りはみんな無視した。それからずーっと、もうリレーには、お呼びがかからなくなった。
おとなと子供の違いはあるにせよ、小学生だって負ける原因をつくった子には、世間の目は厳しいだろう。だから、やはり、その選抜基準は厳正出なくてはならない。たまたまフロッグで、選ばれてしまうと本番で、その正体が露呈してしまい、前述のような不幸を招く恐れがないとは言えない。故に遅い子は選ばれちゃいけないのだ。
と、前置きが長くなったが、ようは、そういうことである。で、残念ながら、わが娘は、代表には一歩及ばず5番目だった。補欠だ。しかしながら、一方でやりたかった、応援団をリレーの選手になれるかも知れないからと、辞退したのには、我が子ながら意志の強さを感じた。(親バカか?)リレーの選抜に選ばれなかった悔しさをバネに、何に打ち込むのか親としては気になるところでもある。