昨日今日と涼しいですね。こういう日に仕事だと現場もはかどるんだけれど、今日はお休み。電力事情も国民のみなさんの努力の甲斐もあって、落ち着いている。おいらも土日働いて、木金休みと普段の日は事務所の冷房は終日止めて頑張っている。日中は34度まで上がる。窓を全開にしているから、夕方は虫が来るので、蚊取り線香を焚く。
暑いけど、昔はこんなもんだったかなぁと、蚊取り線香のに匂いとともに昔を懐かしむ。これで何とかなるならこのまま行けばいいと思うのだが、そう単純にも行かないのだろう。おいらも土日仕事が続くのは、今はまだいいけど、ちと辛いかなぁとも思う。
土日と云えば、夏の電力制限で、うちの会社は、土日仕事で、木金が休みになった。しかし、世間様は土日休みがいまだ多く。木金と仕事が入る。昨日は、本社で仕事が午後1時からあった。工場は休日出勤となり朝からやっている。さてどうしたものか。悩んだ挙句、午前中は、朝走りに行くことにし、12kラン。それから朝飯食って、いざ東京本社へ。最近夏バテ気味で、10k走るのもしんどくなって来た。だから、今日の12kは上出来かな。
先日、脚を伸ばして八千代運動公園まで行った。ラン仲間の才児に教えてもらって、花見川も上流のほうは、そのコースの大半が木陰で快適だよとのこと。確かにその通りであった。しかし、その木陰も赤橋から先は日照りの中を走らねば八千代運動公園まで、行き着くことはできない。
暑いが我慢して走るも、太陽のギラギラは、容赦なく照りつけ、消耗が激しい。なんとか、運動公園に行きつくと束の間、木陰の中を走ることが出来る。早々に折り返し帰途に就く。
炎天下を走っていと朦朧としてくる。ヤバいやばい。水が飲みたい。と思っても、何も持っていない。せめて、小銭ぐらい持ってくるんだったと後悔するも、わしのランニングスタイルは、ポケットもないTシャツに短パン。なんとか、小花島公園(花島公園と神場公園の間に有る公園:名前は知らない)に行きつき、そこで水を飲む。ごくんと飲んでしまうとその先走れなくなるのは経験上知っている。喉を湿らせる程度にして、頭から水をかぶり体温を下げる。少し、気分も持ち直したので、再び走りだす。
とぼとぼと云う感じ。もうすこし、水を飲めば良かったなぁと、後悔しても遅い。残りは約3kほど。再び意識がもうろうとして来て、ヤバいやばい。2k走って神場公園到着。再び水飲み休憩。今度はごくんと飲んでしまう。頭から再度水をかぶり、首筋とわきの下の動脈を冷やす。熱中症にはこれが即効性があるはず。何とか生き返ったのだが、もう走る気は起きない。歩いてとぼとぼ、家まで帰る。熱中症は、恐ろしい。と云う苦い経験もあり、この夏の間は、しばらく12kコースでお茶を濁している。
昨日は午後から、台風のせいで、天気も不安定な中、東京へ。山手線はE231に乗って、大崎へ、帰りは5時前に終わったので、銀座の松屋に行く。デパ地下でビールを飲んで、外に出ると、ひんやりと風が心地よい。早くも秋風?そんな、はずはないと思いつつ帰りは、地下鉄にのって帰る。
久しぶりの東西線は、ぎゅうぎゅうのすし詰め状態。こんなことならば、秋葉原からイエロー電車E231もしくは209系で帰ってくれば良かったと、思いつつも久しぶりの東西線は嬉しかった。新検見に帰って来ると行きは、気が付かなかったけど、新検見川駅60周年の写真展があるではないか。
しばし足を止め見入る。白黒の写真には、あの昔の新検見川駅と、低床式運転台の101系が写っている。昔の新検見川駅は、今の島型ホームではなく、線路を中心に、上りと下りのホームが分かれていた。上りのホームに行くには、踏切を越えねばならなかった。駅前の公衆便所はいつも溢れて、西友側に垂れ流しになっていた。夏のホームでは、良くツクツクボウシが鳴いていた。
その頃 わしは、埼玉は与野から越してきたが、なんとも田舎に来てしまったとつくづくぼうし思ったもんだった。まずは、総武線イエロ―電車が101系なのが歯がゆかった。与野を走っていた京浜東北線ブルー電車は、103系だったし、山手線に至っては、103系高床式運転台が配備されていた。当時、新宿駅辺りで、総武線101系と山手線103系が並ぶと惨めなもんだった。
山手線103系は高床式運転台で、総武線101系低床式運転台を見降ろす形で、ツンとしていた。それが、どうにも鼻持ちならなかった。それはあたかも高慢ちきな、山の手の貴婦人に田舎もんぺが見下されているのを想わせるものだった。田舎者のおいらは、何れは山手線沿線に住んでいるお嬢様をぎゃふんと云わせてやるぞぉと思いつつ、達成されず今日に至っている。
しかし、総武線イエロー電車はやってくれた。山手線よりもどこよりも早く209系導入という形で、最新型車両導入の逆転ホームランを打ってくれたのだった。
新検見川60周年記念写真展を見つつ己の50年を振り返ってみるのであった。