1-1 序章~の巻
今から20数年前の頃です。その頃僕は、今の会社に勤め始めた頃でした。周りの友達は,学生が多かったのですが,勤め始めた私が一緒に遊べるのは、土日と夏冬、GWにある連休ぐらいでした。それでも、工場勤めである僕は、他のサラリーマンに比べるとずいぶんと休みの多い会社だった。土日は、ほぼ毎週休みで、GWと、お盆と正月は,それぞれ一週間から10日前後の大型連休がありました。
その代わりといったらなんですが、普段の仕事は,厳しく辛いのもだった。シ ョベルの製造会社に勤めていましたが、仕事内容は、マニュファクチャー(工場制手工業)そのものでした。生産ラインの組立ては、当時、生産台数が少なかったもののサイクルタイムは、20分程だった。
サイクルタイムと言うのは、ラインで流れてくる機械が、20分に一台来ると言うことで、作業を完結するワンサイクルの時間のことです。僕が配属されていたのは、タンク組立て工程だった。
ショベルは,油圧で動いている。その油は,作動油と呼ばれ,灯油よりは,ややどろっとした粘度の有る液体だ。その作動油が、エンジンにより回されたポンプで、循環されモーターを回したり、シリンダーを伸縮させて、ショベルを動かしているのです。その作動油を溜めておく部分がタンクで、フィルターとかゲージとか言う名前の部品を,取り付けていた。
仕事をうまく進めるのには、どうしたら良いか、会社に入りたての頃,先輩に聞くと「うーん、底抜け脱線ゲームだなー」とその先輩は答えた。この先輩は、愛媛の新居浜商業野球部出身で、昔甲子園に行った事のある人だった。また、高校時代府中に住んでいて、近所には、貴ノ花(初代)が居たという別の先輩は、「仕事は喧嘩だな」と言っていた。その両方の言うことをきいて、「ふーん、なるほど」などと曖昧に,うなずいていました。
その昔やっていた大村昆の出ていたテレビ番組を思い出しその気になって、仕事をしてみると、なんだかすごく楽しくなって時間があっという間にたってしまったのだ。
まず、サブ組と言って、機械本体が流れてくる前に,段取り的な仕事をしておきます。それでもってショベル本体がちょうど良いタイミングに着た時に、せーのって,ショベル本体に乗っかってひと仕事するのです。ひと仕事終えて,ショベルが去っていくのに約20分。
ほっとするまもなく次のショベルが流れてくるのです。そら着たぞっ「ハイ、ハイ最初は、軽くソフトタッチで、調子がのってきたら怒涛のごとくエイヤッと」それも,機種構成によっては,あたかもすごく素直なやさしい娘だったり、なかなか手を付けさしてくれない、かたくなな娘だったり,超ひねくれ傲慢な、お高くとまってる娘たちだったりするのです。
一度はまると、とたんにパニックってしまって、手におえなくなってしまう。そう言う時には、「シェー」とばかり、近くに有る組長(作業員を世話するお助けマン)呼び出しボタンを押し「これもう、手におえない、何とかしてちょっ」と手短に救援を頼むわけです。
このボタンを押すと,イヤミな超神経を逆なでするサイレンが鳴り,どっと汗が吹き出て、一気に疲れてしまうのです。また、30kg程度のものは、平気で持ち上げたりするので、体力勝負な職場でもある。体をしなやか、かつ腰をうまく使いこなすことも重要だった。以前、腰をひねらせた作業者が,そのままライン上のショベルの上で、誰にも気づかれずにラインの先まで流れていってしまったことも有った。幸いにしてそのまま出荷されるまでには至らなかった。が、まったくそのような、今で言うところの3K職場であった為、1日が終わると,どっと疲れが押し寄せてくる。
家に帰ると,もう風呂に入って,飯食って寝るだけの日々が、延々と、続いていました。ある日、二十歳そこそこの健全な若者のいわば,青春真っ盛りの正常なライフスタイルとしては、あまりにも閉鎖的だと言うことに気が付いた。
なんの楽しみもなく漫然と日々を過ごし、男ばかりの殺伐とした町工場だった。極たまに、顔を合わせる女性と言えば,野暮ったい工員服を着たおばちゃんばっかりだった。大して面白くもないのに、こっちがなんか言うとすぐ、ガハハと大口を開けて笑う。前歯は、所々欠けていて、奥歯はほとんど金歯なのが丸見えだった。顔はラクダや羊を連想させる。まったくラクダのほうが、よっぽど歯並びがいいつーのだ。
けれど、そんな中で,1人だけ若い、とは言っても,当時の僕よりは、2つ3つ歳上の素敵な女性がいました。
1-2 憧れの先輩~の巻
彼女は、僕が働いているラインには,比較的近くとはいっても100Mほど離れた事務所にいて,庶務の仕事をしていた。仕事中には,まず顔を合わせることは無いのですが、神様の思し召しか駐車場がとなりだった。
たまに朝、顔を合わせることがあり、そういう時、彼女は、必ず挨拶をしてくれた。そのときばかりは、こっちもしゃきっとして背筋を伸ばし、ぺこりと挨拶するのです。なんて言うか、その町工場には,ぜんぜん似合わない洗練された顔立ちで、髪の毛は、ちょうどそのころ流行っていた、松田聖子カットと言うよりは,中森明菜風だった。なんて言うか,工場事務の野暮ったい上っ張りみたいな事務服に身を包まれてはいるものの、内なる輝きを秘めたすごく洗練された人だった。
毎日会えれば、どんなにか良いのに,新人の僕は、朝早くに現場に行き、休憩所を、綺麗にしておくと言う日課があった。その為、この彼女と顔を合わせられるのは、一週間のうち、当番の無い1日だけだった。他の大部分の日を、この1日が来る為に,早く日が、過ぎればいいと思っていた。
ある日、このただ,起きて仕事をして、眠るだけの生活習慣から、脱皮しなければいけないと思い、はたと気がついた。あれはたしか、1981年のGWも近い頃だったと思う。
1-3 生き方改善計画~の巻
好きな人ができる=人生の生き方を見直す=それまでの生活習慣を変える。という、独断的3段論法が、頭の中で展開された。生活習慣を変えるには、まず、肉体仕事に負けない強靱な体を作らねばならないと思った。そこで、ランニングすることにしました。仕事が終わってからやると言うのは、きついものがありました。次に、腹筋と腕立て伏せは、やらなければならないという信念の元それぞれ100回をノルマにした。なまっていた体を、スポーツをやっていた頃の肉体に戻す体質改善計画だった。
それと、昼間、肉体労働をしていて、体だけを鍛えていると,脳みそまで筋肉になってしまう恐れがなきにしも有らずなので、夜は,ギターの練習時間にあてることにした。
ランニングは、町内一週、約5キロを、20分かけて走る。その後の腹筋と腕立て伏せを含めても、一時間以内で終わるのですが、その後に、風呂に入ってしまうと、どうしてもビールが飲みたくなってしまうわけです。誘惑に負けてしまうと、夜のギター練習が出来なくなってしまう。ぐっとこらえて,夏までは、耐えたのです。と言うのも,夏にはライブをやると言うのが,一つの目標だったからだ。
1-4 試練~の巻
ランニングコースにしている中で,一箇所難関があって,そこを通る時には、いつも、びくびくしていた。それは、コース前半にある大きなお屋敷で,そこの前を通ると、巨大なドーベルマン風の犬が,大きな声で吠え始める。
最初のうち,何回も前を通る時に,その事を忘れていて、いつも心臓がドキッとした。僕の体の反応は,ミミズ並かもしれない。このドキッ、ビクッを、4.5回繰り返してやっと「ああ、あのお屋敷の前を取る時には、道の反対側を通れば良いんだ」と言うことに気がついた。
このことに気がついてからは、「へへ、大丈夫、大丈夫。俺は,こっちだもんね。離れているから噛めないよっ、俺って頭良いね」なんて、胸を張って、その難関をクリアしたものです。
そうすると、このワンちゃんが,塀の隙間から、鼻をつきだして、「クヲン、クヲン」と愛しそうに泣くんだよ。「なんだおまえ、俺にかまってほしかったのか、ヨシヨシそうか、それならそうと言えば,こっちだって,そう邪険にはしないよっ」
と、そう言えば,高校の頃、友達の圭三君の家に行くと、隣の家に、やたらと吠える犬がいた。たまりかねて、ある日、魚肉ソーセージを持って行き、仲良くなった経緯があることを、思い出した。
「そうか、そうかその鼻を撫でてほしいんだね。」と近づいていくと、いきなり歯をむき出しにして、大声で吠えだしやがった。この犬の方が、私よりも、数段頭がいい。私のミミズ並の頭では、とうてい太刀打ちできないことを痛感し、つくづく情けない気持ちにさせられたのです。
だから、2度と、その手に乗らないように、路の反対側を、通ることにしたのでした。ホッとするのも、つかの間、そこからまた100m離れたところに、今度は、中流階級風の家があって、そこにもスピッツ(ミュンヘンオリンピックで金メダル7つとった水泳選手と同姓同名)なんて、気取って飼っている家があった。
このスピッツ野郎が、なりは、ちいせぇーくせに、声だけは、でかくて甲高い。しかも元気で、ヒステリックな婆バアの様に、激しく吠えるんだよ。ったく、犬は、飼い主に似る。とは、よく言ったもんだ。「どうせ、この飼い主は、中流階級意識の気取った、いけすかねぇー有閑マダムだろうよっ、ぺっ!」とおもいつつ、「どうせ、こちトラ、労働者階級よっ」と、インターナショナル(労働者の哀歌)を口ずさむのであった。
故に、この難所を、うまく通るには、お屋敷が近づいてきたら、右側通行を守り、そこから80mほど行ったら、今度は、左側通行するというのが、正規の通行パターンに、なるわけです。ところが、あいにくのミミズ頭のおかげで、このジグザグパターンを学習するのに、その後、5,6回、あっち吠えられ、こっちで吠えられ攻撃に、さらされ続けたのであります。心肺機能を、高める為の、ランニングだったが、時として、心臓には、あまり良くないものだったかもしれない。
1-5 特訓~の巻
さて、ランニングと腹筋と腕立て伏せを終え、一風呂浴び、飲みたいビールをぐっとこらえて飯をかっ込むと、ギターの練習の時間だ。師匠はラジカセです。
このラジカセは、ソニー製で、中学校時代に親に買ってもらった。中学当時、ラジカセが流行で、わざわざ、秋葉原の朝日無線(現:ラオックス)まで行って、買ってもらったのだ。そのときに、サービス券で,親父と一緒にコーヒースタンドで飲んだコーヒーの味が今でも忘れられず覚えている。
そのラジカセ師匠に耳を傾けて、コピーの音を探すのです。僕のパートはベースなので,時にギターの音にかき消されて,音が取りずらいことがあるのです。うーむ、しばらくうなっても、わからない。そう言う時は、村田君が頼りだった。
村田君は、高校時代に、一緒にバンドを組んでいた仲間で、音楽的に、特にギター系に関して,一番頼りになる男だった。何か困ったことがあると,良く村田君に相談して教えてもらった。そのときも電話すると、「ああ、そこの部分なら、ベースマガジン(当時有った雑誌)に、特集で載っていたよ」って教えてくれるのです。
当時は、深夜まで開いている本屋とか,コンビになんて無い時代だったから、次の日に本屋に行くわけですよ。そうすると、なるほどタブ譜付き(指の使い方の図解)で載っている。でかしたぞっと思い、更に先に進むことが出来るのです。今日は、この難所を克服できたから、結構はかどったなと思いつついると、次の難所にぶつかった。
どうも俺の人生には,難所が多いなあと、思いつつ又,ラジカセ師匠に、そっと耳を傾ける。うームやっぱり良く分からない。そうだっと例の雑誌を紐解いてみた。と、そこには,スマイルとかいてあるではないか。これはどうしたことか。うーむ、これは,雑誌の陰謀だなきっと、著作権の問題もあるのだろう。そう簡単に全部は教えないからね。ここはちょっと自分で、考えなさい。うふっ。ってもんだろうか。その、うふってのがスマイルって書いてあるのかなと,自分なりに解釈してみる。
再び熟考タイムに陥った。夏までもう余り時間が無いのにと、将棋番組で、よく目にする持ち時間のカウントダウンを告げる無表情のおねーさんの声が、頭の中で響いた。もうやっぱりこれは、村田君にTELして聞くしかないと・・。
彼は彼で、夏のライブに向けて、別のバンドでTOTOをやっていた。かなり高度なテクニックを要するバンドのベーシストなわけで、自分の練習もあるのに、よくうるさがらずに、相手をしてくれるいい奴だった。TELすると、いとも簡単に、「ああ、それはスマイルじゃなくて、シミラーね。その前のフレーズと同じパターンを弾きなさいって意味だよ」といとも簡単に、優しく教えてくれた。僕は、顔から火が出るほど恥ずかしくもあり、自分のミミズ頭をつくづく恨んだ。
1-6 suddenly…突然に~の巻
やがて夏が来て、晴れのライブの日がやって来た。会社の人も何人か来てくれた。憧れの先輩もやってきた。ただし、脇には彼氏を従えていた。従えていたと言うと、こそ泥のような情けない男をイメージしてしまうが、その彼氏は、残念ながら、恰幅の良い立派な男だった。
ライブをやるに当たって、この先輩にはどうしても見に来てほしかった。これは、もう思い切って誘うしかないと決めた。そこで、駐車場で誘うという風に、作戦を立てて実行する計画を立てた。チャンスは、金曜日だった。金曜日は、当番がないので、比較的朝早く行かなくても良い日だった。
ただそのチャンスを逃すと、また1週間は、偶然会う以外、接触する機会がない。駐車場で、待ち伏せって言うのはいやだったので、先輩の来そうな時間を見計らって偶然を装いGOと言うのが、作戦だった。
これは、時間的には、厳しい物があった。先輩は、事務服を羽織るだけで、仕事の準備が終わる。そのせいもあり家で念入りに身だしなみを整えてくるのか、出勤時間は、ぎりぎりだった。僕は、作業服に着替えたり、ヘルメットや脚絆を付けたり、いろいろと時間がかかる為、先輩よりは早い時間に会社に来ていた。
だから、その日は、家から作業服を着て来て、脚絆とヘルメットは後で何とかなるだろうと言う作戦をとった。いざ当日となると、時間的にもちょうどいいタイミングになった。出勤ピークの時間帯で先輩の車の2.3台前にはいることが出来た。ようし、このタイミングでいけば俺の車が駐車してすぐに、先輩の車が来るだろうと予測できた。
1-7 アイム・ア・ルーザー?~の巻
するとあろうことか、ちょうどバックで先輩の車の隣に着けようと思っていると、一台の車が、するすると来て、先輩と俺の間に車を止めてしまったんですよ。
そいつは、俺の、先輩とは反対側の隣のやつだった。
朝の通勤帯の忙しい時間だったから、少しでも要領よくしようと思って、そういう風に車を止めてくれたんだろうけども、その時の状況的には、俺にとっては、迷惑な話だった。結局タイミングを逸してしまい、その朝の計画はあっさりと断念せざるをえなかった。後で考えれば、もう少し何か手だてがあったかもしれないが、俺のミミズ頭では、考えが浮かばなかった。
結局、その日は、悶々とした一日を送ることになった。一日そのことばかりをくよくよと考えながら、頭のなかでは、チクショウ、チクショウと何度も連呼していた。おかげで、一日が過ぎるのが早かった。
その日は、帰りの掃除当番だったので、定時とともに、勢いよく帰宅する連中を後目に、居残りしなければならなかった。全く、全然ついていない一日だった。週末というのに、鬱屈した思いで、帰り支度をした。ちょっと遅れた帰りのピーク時間を過ぎて、駐車場へと行く道すがら、俯き加減で歩き、ふと目をあげると、なんと偶然にも先輩が更衣室から出てくるところに出くわした。
何というラッキーな日だろうか。「お疲れ様」と声をかけると、「あら、週末なのに、ずいぶんと遅い帰りじゃないの?」と先輩が聞いてきた。「今日は、帰りの掃除当番で、この時間になりました」と上官に報告する兵隊のように答えた。「あたしも、掃除当番だったのよ」と先輩が答えた。その後に続く「これからお茶でもしない?」と言う言葉を待っていると、「中村君は、いつも朝早いみいたいだけど、今日は、遅かったわね」と、朝の出来事を覚えていてくれた。
「うん、先輩の通勤時間に合わせてきたから、そうなったんだ」とは、言えずに「朝の掃除当番が今日はなかったので、そうなりました」とまた、上官殿に報告した。そこまでのところで、駐車場のお互いが、停めている当たりについてしまって、じゃあねと言うような雰囲気になってしまった。そこですかさず、財布が入っているけつのポケットの当たりをまさぐった。
「あのー、今度ライブやるんですけど、良かったら来てください」とやや照れながらも、割ときっぱりとその事が告げられた。先輩の目を見ると、やや不安そうに「ふーん、どこで?」といかにも来てくれそうなそぶりで聞いてくれた。あわてて財布から、チケットを出して渡すと「中村君も、何かやるの?」と聞いてくるんだよ。
この中村君って、俺のこと中村君だって事を知っててくれたのが凄く嬉しいんだけれど、仲間はみんな、かずきってファーストネームで呼んでくれるんだから、中村君なんてよそよそしい呼び方はやめてくれよなぁ、なんて思ったりしたのです。
1-8 The Short And Straight Road~の巻
そのあこがれの先輩が来てくれたのです。嬉しくないはずはないのに、なぜか沈痛な気分に陥った。それもこれも、あいにく先輩は、彼氏を連れていた。この彼氏が、凄くがっちりした体格の人で、なんかこう凄く立派な人で、相手にとって不足はないというか、こっちの方が全然不足だらけだった。
それでも唇を噛みしめて、「今日は見に来ていただいて、有り難うございます」なんて割としっかり言えたのは、自分でも驚いた。もう、その時は本番前で上がっていることもあるし、落ち着こうと自分に言い聞かせていたのかもしれない。
後日しばらくして、その先輩は、寿退社したのですが、お相手は、このとき一緒に来てくだすった人で、警察官だったそうです。道理で、腕っ節が太いはずだというのも理解できました。でも、その太い腕に先輩が抱かれてしまうのかと思うと、切ない思いが、胸を締め付けた。
警察官というのは、身内に犯罪者や赤系の人がいる相手とは、結婚できないってはなしを聞いたことがある。自分は、犯罪者ではないが、先輩の幸せのために自分が出来ることは、潔くあきらめるというのが良いと自分に言い聞かせもした。
チケットは、たしか1枚しか渡さなかったから、もう一枚は、ちゃんとお金を払ってくれたのだと言うことに気がつき、余計に胸が締め付けられた。
そんなこんなで、夏のライブも終わると抜け殻になり、やや鬱屈して、秋の気配を感じた。夏の間遊んでいた僕は、晩秋から冬にかけて飢えをしのぐためせっせと働かねばならなかった。
特に目標も見失ってしまったので、ギターの練習時間も、ぐーと少なくなった。そんな中、トレーニングだけは、しぶとく続けた。あの警察官のように、腕っ節が強くなりたい気持ちが、心のどこかにあったのかもしれない。
(第1話完結です)